仮想哲学会概要

設立理念

二十一世紀が始まり、人類は急速に情報通信技術を発展させ、大きなブレイクスルーをもたらした。世界中の人々がインターネットを介して瞬時に情報にアクセスし、SNSは地理的な制約や言語の壁を超えて人々を結びつけている。AIは膨大なデータを用いて文章や画像を生成し、ゲームやVRは現実と見紛う空間を創り出している。

技術が飛躍的に発展した一方で、人類はその変化を十分に理解し、自らを変化させようとしているとは言い難い。情報は自由になったが、知は既存の制度や機関の壁の中にある。学問は高度に細分化され、それぞれが独立して発展する一方で、それらを横断的に捉える視点は決して多くない。「哲学科は紙と鉛筆しか要求しない。消しゴムすら必要ない」と皮肉られた哲学においても、そのような枠組みに依存し、全員が自由に参加できる開かれた学問として成立していない。

一方、人類文明そのものを見渡すと、私たちの社会は、物理的な実体だけによって成立しているわけではないことに気づく。貨幣は、紙や数字に過ぎないが、人々がその価値を共有することで、交易を円滑に行い、文明は発展してきた。しかし、貨幣への過度な執着は、格差や恐慌、さらには戦争の一因ともなった。

国家や法律もまた、人々の合意と信頼によって成立する制度である。それらは秩序や安全を維持する一方で、ときに権力の暴走を許し、人権侵害や戦争を正当化してきた歴史も持つ。宗教もまた、共通の信仰によって共同体を形成し、人々に人生の意味や倫理を与えてきたが、異なる価値観の対立を生み出した。

このように、人々の認識や合意によって成立し、物理的実体を超えて現実社会に作用し、人々と結びついている構造を、本会では広く「仮想性」と呼ぶ。それは、物理的実体に意味や価値を創造する人類の最も根源的な能力であり、現実世界を支える根源的な構造である。

そして現代、SNS上の人格、デジタルキャラクター、AIとの対話、仮想通貨など、人類は新たな仮想性を次々と創造している。また、多様性が重視される現代において、「国籍」「民族」「思想」「性別」「個性」といった概念も、人間が世界を理解するために構築した枠組みとして改めて問い直され始めている。個性とは、本来連続的で分類しきれない人間を理解するために人類が創り出した仮想的概念でもある。

哲学の歴史においても、このような問題は決して新しいものではない。プラトンの洞窟の比喩、荘子の胡蝶の夢、デカルトの方法的懐疑、仏教における空の思想など、東西を問わず数多くの思想家が「現実とは何か」という問いを探究してきた。しかし、世紀末・新世紀には、映画『マトリックス』の公開、ニック・ボストロムによるシミュレーション仮説の提唱により哲学にも大きなブレイクスルーが起きた。古典的な問いを情報科学・計算機科学の文脈へと接続し、「世界の仮想性」を科学技術によって考察し得る時代が切り開かれた。AI、VR、量子コンピュータなどの発展は、その問いを単なる思考実験ではなく、人類が直面しつつある現実の課題へと変えつつある。

仮想哲学会は、このような時代認識のもと、「存在の成立条件を探究し、いかなる条件のもとで対象が現実性(リアリティ)を持ちうるのか」という根本問題を探究するため、2025年11月14日に設立された研究共同体である。

本会は哲学を中核に据えながら、数学、物理学、情報工学、計算機科学、認知科学、社会科学、芸術・文化など、多様な学問領域を横断し、人類が創造してきたあらゆる仮想性を総合的に研究する。シミュレーション仮説やVR、AIのみならず、言語、貨幣、国家、法律、宗教、文化、物語、アイデンティティなど、現実社会を支える様々な構造を研究対象とし、それらがいかに現実を形成し、人間の存在を規定しているのかを明らかにすることを目指す。

また、本会は情報通信技術を積極的に活用し、所属や肩書にとらわれることなく、誰もが自由に研究と議論へ参加できる開かれた知の共同体を築く。現実空間とオンライン空間、学問と文化の境界を越えて世界を観察する。そして想像力・創造力を融合させることで、思考実験、理論研究を行い、新たな仮想文明の時代にふさわしい知の基盤を創造する。

仮想哲学会は、仮想を「現実ではないもの」としてではなく、「現実を成立させる構造」として捉える。そして、人類が創造してきた仮想性の可能性と課題を探究することで、現代文明をより深く理解し、未来社会における新たな哲学と知の地平を切り拓くことを使命とする。私たちは、現実と仮想をつなぐ「智の翼の止まり木」となり、時代を超えて人々が自由に思索を交わす知の共同体を目指す。

仮想哲学とは?

仮想哲学(かそうてつがく、バーチャル哲学、英:virtual philosophy, virtualosophy)とは、仮想という観点から存在の成立条件を探究し、いかなる条件のもとで対象が現実性(リアリティ)を持ちうるのかを考察する新世代の哲学的研究領域である。現実と仮想を単純な対立関係として捉えるのではなく、人間の認識・社会・情報・意識に内在する「仮想性」に着目し、私たちが現実として経験する世界がどのような構造や条件によって成り立っているのかを探究するものである。

人類は古来より「存在とは何か」「現実とは何か」を問い続けてきた。懐疑論は世界がそのままの姿で存在するとは限らないという可能性を思考実験として扱い、現実と仮想の関係は文学や芸術でも表現されてきた。近年の情報技術・AIの発展により、「仮想性」はSNSやVR、VTuberなど文化領域にも浸透し、現実と仮想の境界が溶け始めた現代において仮想哲学は成立した。

初期の主要な問いは、情報技術の特異点に到達した文明がもたらす「世界の仮想性」であった。シミュレーション仮説は、高度文明が世界のシミュレーションを構築可能になった場合、私たちの世界もまたシミュレーションである可能性を示し、「世界が仮想的でも、なぜ私たちは現実性を感じるのか」という問いを提起した。

ただし、仮想哲学が探究するのはシミュレートされた世界だけではない。人類文明には社会制度・文化・宗教など「仮想性」を持つものが古今東西に多数存在し、これらの境界条件や構造的な仮想性、対象と人々を結ぶ関係性・意味・価値の探究も主要テーマである。

仮想哲学は文系・理系という枠を超え、学問分野や文化領域を横断しながら、想像力を用いた思考実験と理論構築によって、急速に変化する現代社会における「存在のリアリティ」を探究する。

キャッチコピー

「智天使ケルビムは神の御前に立つ」というキャッチコピーは、ベートーヴェンの『交響曲第九番第四楽章歓喜の歌』、あるいはその原詩であるシラーの『歓喜に寄す』に由来する。 そこでは、地を這うものから天使に至るまであらゆる存在が歓喜を分かち合う宇宙的な連帯が描かれている。 仮想哲学会においてこの言葉は、単なる宗教的比喩ではない。智天使ケルビムは、神に最も近い知性の象徴である。 彼らの歓喜とは、神の栄光、すなわち神が創り出した根源的真理に触れることにある。その姿は、世界の根本原理に近づこうとする本会の探究の姿勢を示している。

また、智天使ケルビムは、神に最も近い知性の象徴であると同時に、エデンの園の門を守る存在でもある。人間が命の実に触れ、永遠の命を得ることがないように、その前に立つ。そこに示されているのは、人間の有限性である。私たちは真理を渇望しながらも、時間に限りを持つ存在であり、一人の人間が探求できるものは限られてくる。しかしその有限性こそが、我々の知の探究、探究者同士の結束をより強固なものにする。永遠の時間を持たないからこそ、我々は限られた時間の中で、存在はいかに成り立ち、いかなる条件のもとでリアリティを持ちうるのかを問い続ける。ケルビムは、人間に限界を示しながらも、同時に真理への憧れを映し出す象徴である。

ロゴ

本ロゴは、2026年4月19日に制定された仮想哲学会のシンボルマークである。制定後、三種類の類似パターンを経て形状および色彩の調整が重ねられ、現在のデザインに至った。

デザインは、日本の家紋に着想を得て、円と直線のみから構成される簡潔で普遍的な造形を採用している。複雑な装飾を排し、最小限の幾何学的要素によって理念を表現することを目指した。この構成は、時代や文化を超えて認識される象徴性を重視するとともに、日本文化との連続性を意識したものである。

上部のカプセル状の形態は、「真実を知る選択」の象徴であり、その着想には映画『マトリックス』に登場する赤い薬がある。雲の上から姿を現す構図は、朝日や日の出を想起させ、世界の真実への「目覚め」や知的覚醒を表現している。 下部の雲は、同作における青い薬を象徴的に再構成したものであり、世界の本質が見えない認識の状態を表す。雲は視界を覆い、輪郭を曖昧にする存在であることから、思い込みや先入観、あるいは現実そのものへの無自覚さを象徴している。

また、赤と青の対照的な色彩は、真実と幻想、覚醒と無自覚という対立概念を表現するとともに、日本の伝統色を基調として現代的なモチーフと日本文化の美意識との融合を図っている。

本ロゴは、雲の向こうから昇る赤い光によって、「認識の曖昧さを越え、世界の構造を探究する」という仮想哲学会の理念を象徴している。